【 開発者 】

陽光桜の開発者である高岡正明さんは、「桜を世界中に植えて、地球を花園にするんじゃ。この美しい桜を見たら、人類は争う気持ちにならん。」という想いで、戦後に約30年かけて、世界のどんな気候でも咲く「奇跡の桜」を開発しました。
【 ストーリー 】

高岡正明さんは戦時中、愛媛県東温市の山あいにある学校の、16歳から19歳までの青年たちの教師を務めていました。戦前は非戦主義者だった正明さんでしたが、当時の日本は国全体が軍隊のような状況下にあり、国家命令に従うしかありませんでした。全国の若者たちが次々と戦地に送られていった1940年の春のある日、正明さんは校庭の満開の桜の下で出征を控えた教え子たちと記念撮影をし、「戦いに勝って、必ず生きて帰って来い。そして、この桜の下で再開しよう。」と励まし、送り出しました。しかし、その言葉も虚しく、戦地に向った教え子たちのうち帰国できたのは半数以下でした。
その自責の念から、生徒たちや、戦争で命を失った人々の鎮魂のため、「二度と戦わない」という強い想いを込めて誕生したのが「陽光桜」です。
【 平和への想い 】








高岡正明さんは陽光桜の誕生後も、今後二度と人類は戦わない、戦う必要が無いんだ、という平和への想いを添えて、自費で世界各国の要人などへ陽光桜を送り続けていました。そのお礼に、ローマ法王庁や、ジミー・カーター元米大統領などから、多数の感謝状が届いた他、日本人初のノーベル物理学賞受賞者である、物理学者の湯川秀樹さんとスミ夫人から正明さんに送られた色紙の、歌に詠まれた「まがつび」とは災害・凶事を起こす神のことが書かれてあり、同じ平和への想いがそこに残されています。
また、高岡正明さんは、愛やLOVEの文字、世界地図をデザインした勲章も多数残している。
【 ストーリー 】

こちらは高岡正明さん夫妻の写真です。夫婦仲はとても良かったそうで、奥様の艶子さんは生涯に渡り、正明さんの夢を応援し、支えていらっしゃったようです。
私たちは、この先人たちの想いを受け継ぎ、子孫へ「桜」というカタチを残し、紡いでいきます。
※本ページの掲載情報は、Photo messege book「陽光桜」から一部引用(著者:緒方秀美、北澤杏里)
【 映画 】
陽光桜 - YOKO THE CHERRY BLOSSOM -
本作『陽光桜-YOKO THE CHERRY BLOSSOM-』は、愛媛県川内町(現在の東温市)で生まれ2001年に92歳で亡くなった「知られざる偉人」高岡正明氏の生涯をモデルに描かれる、感動のヒューマン・ドラマ映画である。
戦時中、軍国教育を行っていた青年学校で教師だった高岡正明は、終戦直後から「わしが教え子たちを戦地に送り込んでしまった」との自責の念に苦しみ続けた。そして、正明は「戦争という、二度とこのような悲惨なことを繰り返してはならない。戦死した教え子たちの鎮魂と、世界恒久平和への願いを託して新しい桜を自分の手で作ろう」と、生涯を賭けた桜の新品種開発を誓う。
正明にとって、その桜は「新しい桜」でなければならなかった。「厳寒のシベリアで散った子たちもいる。亜熱帯のインドシナ半島で亡くなった子もおる。教え子たちの鎮魂と世界各国への平和のメッセージを託すには、これまでの桜ではいかん。どんな気候でも花を咲かせる、病気にも強い樹勢が良い品種でなければいかんけん」 その挑戦は苦難の連続だった。植物遺伝学上、桜は人工受粉で新たな品種をつくることは「不可能」だと言われていた。しかし、正明は自らの誓いを胸に秘め不屈の精神で試行錯誤を繰り返し、30年後、ついに桜の新品種登録第一号となる「陽光」を生み出す。※本文は公式WEBサイトより転載